かわいいむすこはずるい。

2016年春に息子が生まれました。

息子、人間化

出産後まもなく、5歳と3歳ふたりの男児がいる私の従姉妹から、お下がりの服を大量にもらった。

 

しかしそれは人間の服だった。

 

私の目の前にいる生まれたてホヤホヤ、シワシワのグニャグニャで、一日の大半をぽやーっと天井を眺めているだけの、なんだかよくわからい妙ちくりんな生き物が着られるとは、到底思えなかった。少なくともあと2〜3年はかかりそうだ、そう見積もっていた。

 

ところがあれから半年が過ぎ、まさかと思いつつ、あの人間の服をためしに着せてみたところ、なんと、少し大きいがこれから肌寒くなる季節にちょうど良さそうだ。

 

こやつ、人間になりかけている…?

 

中高生の頃、夏休み明けの始業式、同級生の男子たちを思い出した。
誰だお前、と思った。

 

たった1ヶ月ちょっとの間にぐんと伸びていた背。変な声。えーっと、あの、これがひと夏のアレ?

 

アレがここ半年の間に毎月、いや毎日起こっている。朝起きて最初に抱いたら、昨日よりも確実にデカイのだ。マジマジ。

 

もちろん身長だけではない。

賃貸住宅のドアを蹴破って破壊する。アンパンマン消防車を暴走させる。リモコンを操作してテレビをつけたかと思うと昼ドラをじっと鑑賞している。段差を降りる際には慎重に足場を確かめた後、危険だと判断して私にクッションを持って来いと目で催促する。今はちゃぶ台でノートパソコンを開いているのだが、座ってキーボードを叩く私の脇に立ち、テーブルに肘を置いた姿勢で手を組んでなにか言いたげにこの画面を覗いている。

 

キミ、そんな人だっけ?

 

子どもの成長を喜ぶことについて、子どもがいない時にはいまいちピンとこなかった。「積み木を投げた」「コップでお茶を飲むようになった」「我が子は天才か」そんなことは私にだってできるし、むしろできない人間の想像がつかなかった。

 

奴はできない人だった。
些細なことで成長した!と喜ぶ理由がやっとわかった。我が子の基準はとてつもなく低い。

親はその姿がマメのように小さい頃から我が子の様子を注意深く見守ってきたのだ。マメが十月十日後にようやく外界に出てきただけで万歳三唱。その顔をひと目見ようと千客万来。気まぐれに微笑んだ動画が一族郎党に送信され、「無事生まれました」の投稿についたいいね!の数は史上最多となった。ここが基準の人なのだ。

 

毎日毎日、ほんの少しつづ何かが確実に変わっている。

 

仰向けから身体をひねる様になった。ひねったままゴロンとなった。うつ伏せの状態から1センチ頭を持ち上げられるようになった。うつ伏せの状態で手足をバタバタさせている。床を蹴るのか?あ、進んだ。どんどん進む。どこへ行くのか。立つのか?立ってどうしたいんだ?え?テーブルの上のリモコン?つけるの?見るの?昼ドラを?

 

その成長は牛歩のようでもどかしく、しかしすさまじいスピードで、一体どこまで行ってしまうのか不安にも感じる。このままいけば数年後には4次元に到達しかねない。おそらく来年あたりには舞空術を身につけていることだろう。とても楽しみだ。