かわいいむすこはずるい。

2016年春に息子が生まれました。

生後6ヶ月、ついに私の知っている赤ちゃんになってきた

息子がだんだんと「私の知っている赤ちゃん」になってきた。「私の知っている赤ちゃん」とは、バブバブと言ったり、ハイハイをしたり、親を認識して笑ったり、ベビーカーに乗って河原町に出没したり、ママ友ランチに連れてこられカフェでバタバタしているような生き物である。

 

友人が産んだ子だったり、街中で小さな子を見かけたとしても、それは既に「大きな赤ちゃん」であった、と自分で子を産んでから知った。クレヨンしんちゃんのひまわりも、サザエさんのいくらちゃんもベテラン赤ちゃんだ。赤さんと呼んだ方が良いかもしれない。

 

妊娠中に仕入れたインターネットの集合知による
「生後1ヶ月はいっさい家から出ない」
「4ヶ月くらいまでは街中に行かない方がいい」
「寝返りは一大事」
「首が据わっていない」

などの情報が出産前にはいまいち全くこれっぽっちもピンとこず

「いっさい家から出ないことに私は慣れてるが一般的に人としてどうなのか」
「近所のスーパーは行けるけど河原町のBALはだめなんか?無印良品に行けへんのか。困った」
「いやいや、寝返らないとか。床ずれするし腰痛くなるし」
「首が据わらないとかどういう状態なのか。意味が分からない」

そう思っていた時期が私にもありました。集合知は正しかった。

 

息子が生まれ、深夜に授乳をしながら思いを馳せたのは、現世人類であるホモサピエンスから続く20万年の人類の歴史と、現在地球上に73億人いるとされる人類の繁栄だった。さきほど”現在の人口”でググったら秒ごとに増えているので恐れおののいた。現&元赤ちゃんが73億人だと・・・

 

よくもまぁこんな身体と知能で生まれてこようと思ったもんだ。そういえば生まれたての息子を抱いた夫は「・・・こやつ・・・・・・人類最弱ッッ・・・!」とつぶやいていた。

 

人類の進化はもうちょっとなんとかならんかったのか。お馬さんなんて生まれて数時間で立ち上がるんやぞと。サバンナでも同じ事がいえるんかと。アマゾンやシベリアで生まれた赤ちゃんは一体どうなっているのかと。

 

気になって「アマゾン 赤ちゃん」で検索したところ「Amazonならベビー用品がお得に購入できる」ということが判明した。なるほど。

 

そんな「赤ちゃん以前のふにゃふにゃの何か」と過ごして半年が経った。まるで精神と時の部屋に居るかのように、生まれたての赤ちゃんとの世界は外界と時間の流れが全く違っていた。長いようで短い。早いようで永遠とも感じられた。

 

半年経ってようやく四足歩行が始まった。もしかして、とちょっと魔が差して、うちの小型犬がお気に入りのゴム製ドーナッツ型のおもちゃ(新品未使用なので綺麗です)を投げてみたら、とても嬉しそうに取りに行って遊んでいた。なるほど。

 

これがいつか人間になることを想像できない。息子を見た友人からは「お父さんとそっくりだね」と言われるが、二足歩行でのっしのっしと歩く176cm80kg38歳のデカい生き物と、63cm7.5kg生後6ヶ月の四足歩行の生き物との間には大きな大きな空白がある。いつか・・・コレになるんか・・・?何回進化したらこうなるんか・・・?アメ何個いるんやろか・・・ほしのすな足りるかな・・・

 

俺たちの戦いはこれからだ!(第一部完)

[あらすじ]
息子生後6ヶ月
ハーフバースデーを迎えました
とんでもなくかわいいです